日張山青蓮寺
(ひばりやませいれんじ)

奈良時代、天平宝字4年(760)右大臣藤原豊成(ふじわらとよなり)公の息女・中将姫は、継母のざん言により14歳の時に日張山に配流されました。しかし、家臣の松井嘉籐太春時(まついかとうたはるとき)と妻静野(しずの)の情けによって助けられて、日張山に草庵を結び、26ヶ月の間、閑居練業(かんきょれんぎょう)念仏三昧(ねんぶつさんまい)の日々を送りました。父、豊成は、ある日、この地に狩りに来て中将姫と不思議な再会をします。奈良の都に戻った中将姫は、当麻寺に入り出家剃髪の身となり、法如尼を 名乗りました。当麻曼陀羅を感得し、19の夏、再び日張山に登り一宇の堂を建立し、日張山青蓮寺と名付け、尼主の道場としました。