宇太水分神社
(うたみくまりじんじゃ)

本殿(明治44年・昭和29年国宝)は第一殿、第二殿、第三殿からなります。1間社春日造で桧皮葺、3連社形式をとっています。第一殿(向かって右端)の棟木には元応(げんおう)2年(1320)の銘があり、鎌倉時代の建立であることがわかっています。祭神は第一殿=天水分神、第二殿=速秋津比古神、第三殿=国水分神となっています。永禄3年(1560)写しの玉岡水分縁起によると、西殿の社を本社、井谷(下井足)と中山(上芳野)を摂社としています。大永7年(1527)には、澤氏の「若子様」が祭礼で神事の頭役となり、酒樽を献納しています。10月第3日曜日には、上流にある惣社水分神社の神輿が「お渡り」として、当社の境内まで担がれてきます(神輿は昭和32年 重要文化財、お渡りには複製品を使用)。
春日神社本殿(昭和29年 重要文化財)は1間社隅木入春日造、桧皮葺となっています。室町時代末頃の建立で、天児屋根命を祀っています(西殿庄は春日社領)。
宗像神社本殿(昭和29年 重要文化財)は、1間社流造、桧皮葺となっています。室町時代末頃の建立で、市杵島姫命を祀っています。
古市場は、古くは「玉造村」と呼ばれ、中世には「西殿庄」という荘園でした。
中世の有力武士のひとり、秋山氏が市場を松山(現在の大宇陀)へ移して以来、当地は、文字どおりの「古市場」となりました。現在の古市場から宇賀志は、『古事記』や『日本書紀』に登場する「下県」の中心地でした。宇太水分神社には、古図(水分神領古図・正応5年 1229)が伝わっており、上水分宮と下水分宮が領有する荘園名やその境界線が記されています。この古図によって、古代からの「上県」、「下県」の意識の名残を知ることができます。