纒向石塚古墳
(国指定史跡)
 纒向石塚古墳は1971年の纒向小学校建設に先立つ調査で周濠から多くの土器や木製品が出土、当初はこれらの遺物の年代観より庄内0式期(3世紀初頭)の築造と考えられ、日本最古の古墳として注目される事となった古墳である。埴輪や葺石はなく、全長約96m、後円部径64m、前方部長32mと、全長と後円部径、前方部長の比率が3:2:1の纒向型前方後円墳の典型的なスタイルを持つが、第二次大戦中には高射砲陣地の設営を目的として埋葬施設とともに墳丘の上部が大きく削平されてしよっている。墳丘の構造は1996年の第87次調査で後円部西側の一部に段築が残っている事が確認され、本来は後円部3段、前方部には段築は無かった事が判明している。また、1989年の第55次調査では前方部の形状と前方部前面の区画溝のほか、周濠へと水を引き込む導水溝の存在も確認されている。本墳からの出土遺物には墳丘の盛土内や幅約20mの周濠から出土した多くの土器群の他、鋤・鍬・建築部材などの木製品の他に、鶏形木製品や弧文円板などの特殊な木製品の出土もあり、比較的豊富な遺物の出土星があるが、築造時期については現在、庄内1式期(3世紀前半)とする説と、築造が庄内3式期(3世紀中葉)で埋葬を布留0式期とする説の2者がある。