五大堂
(護摩堂)

 室生寺寺務所に近く東方にある。創立は不祥であるが、縁起によればこの道場において毎日宝祚の長遠と国家の太平を祈念したという。江戸時代に古堂が破壊したので、宝永年中に桂昌院の発願により、唯密第三世澄岸が再建したが、安政4年(1857)1月10日に焼失した。ついで、文久2年(1862)6月22日上棟し、翌3年3月21日に入仏供養を執行した。
 今の堂は、入母屋造檜皮葺にして、不動明王坐像を中心にして、五大明王像を安置する。中尊を除く四立像は宝永年中に補作したものといわれる。別に鎌倉時代の作と思われる不動明王立像をまつる。今、この堂にかける喚鐘(口径40p)は伊賀名張郡薦生村の木食蓮海が宝暦10年(1760)5月1日に室生山奥院御影堂に納めたものである。
 五大堂の後方の高所に一間半・二間の入母屋造檜皮葺の鐘楼が建っている。鐘は戦時中供出し、今のは戦後新鋳したものである。この側にもと聖天堂があり、いま礎石が残り、その奥に行者のたむろした実行院があった。聖天像はいま護摩堂に保存されている。
室生川の橋を渡って寺門をくぐると、正面に寺務所、左方に慶雲殿と称する客殿がある。向かって右に進めば、五大堂前を過ぎ二天門跡に至り、昭和41年再建された仁王門がある。ついで参道は左折して石段にかかる。
石段下の向って左方に、一間社神明造朱塗の弁天祠(梁行三尺五寸、桁行三尺、向拝三尺)が鎖座する。もとは前方のバン字池にまつられていた。当社には身丈五寸の弁財天女像をまつり、弘法大師の勧請と伝えられる。社前の石灯一基は銘によれば「奉造立弁財天宝前」と刻し元禄十年九月に亮誠の立てたものである。当社の向って左方に昭和26年11月室生区の建てた殉国碑がある。