多氣国司墓
 本堂から西南方約40mにして木立のなかに石塔が三基並んでいる。最北に大五輪石塔、中央に宝筐印石塔、南方に小五輪石塔の順序に並んでいる。形式上ともに室町時代初期の営造と推定される。
 大五輪石塔は巾3.98m、高0.54mの壇上積石造基檀の上に安置され、左右に小五輪石塔各一基が建っている。大五輪石塔は総高台座を含めて194cmとなり、台座には反花座があり、各輪に梵字その他の彫文を見ない。この五輪石塔は奈良県から大正5年9月に発掘調査が行われた。その報告によれば、基檀内部はほとんど栗石で上面に板石を置く。五輪塔は宝珠と請花とが一石であるほかは各輪毎に共枘を造り出してある。
水輪中に木造五輪塔が包蔵されていた。これは大輪のみ松材その他は檜材で造られ、風輪と火輪が一本であるほかは各輪別木である。そして地輪には金箔を置き、水輪は素地のままであるが胡粉を塗ったかとも考えられる。火輪は朱塗にして各面に梵字を墨書し、風輪は素地のままで周囲に梵字の痕跡あるも判読できない。また地輪と水輪には竪孔があって、その内に水晶製平面六角の五輪塔を蔵してある。この中央に径0.3cmの竪孔のあるのは、今は亡いがもと舎利を納めたものであろう。なおこの木製五輪塔を包蔵した孔を覆うに径15cm、厚さ1.2cmの木蓋を置いたと考えられその朽片やこの板に貼布せられたと思われる胡粉塗の紙蓋様のものを発見した。
石造五輪塔下の少し手前のところから灰褐色素焼の蔵骨壷を発見した。壷内には骨片及び長さ15cm、巾3cm、厚約0.6 cmの木片と木口を朱彩した木片を納めてあった。壷の上に蓋として長さ33.3 cm 、巾24 cm糎、厚さ6 cmの石片が置かれ、さらにその上に厚さ12 cm以上の大蓋石二枚を重ね、この上に石塔を安置してある。
この五輪塔は古来、多気国司あるいは北畠親房の墳墓と伝えられていたものである。男爵北畠治房が宮内省の許可を得て、大正5年9月発掘調査された。
その遺跡遺物は南北期時代のものとするに妨げないが、北畠氏墳墓たる徴証は何ら発見されなかった。
 中央の宝筺印石塔は塔身の四面に梵字をめぐらすが、各々に方形の縁をつけてある。相輪や台の格狭間の形式とともに室町期の特徴を示している。小五輪石塔は現在傾斜し、基壇の框石の一部を失って蓮台の形式などやや鋭い傾向である。これら二石塔も発掘調査され、地下から少量骨片を蔵する蔵骨壷が発見された。